藝術とインタラクティヴィティ@京都国立近代美術館

印象

印象に残ったのは以下のターム。

  • 「インタラクティヴィティ」ということばの二つの側面
  • ゲームはアートと言えるのか
  • 浮世絵の図像学的系譜学的なアプローチ
  • デジタルテクノロジーのもたらす同時性の問題

「インタラクティヴィティ」ということば

ひとまずは以下の2種類がある。

  • 対象(作品)への人間(鑑賞者)または別の要素が関わることで完成・成立するもの
  • 既に孤立して成立している対象(作品)の現前に必要なと人間(鑑賞者)と

仲町啓子「絵画の制作と受容ー近代以前の源氏物語絵を中心に」

  • インタラクティヴィティに関して直接関係ないのではと思わせられるが、そもそも浮世絵の図像学的な意味の変遷とその制作の2次制作的な方法論の紹介が興味深い
  • 俳諧とウェブ上の群衆の制作物(2chニコニコ動画、等々)というか。
  • また直接関係ないと思えつつも、以下の吉岡氏のインタラクティヴィティと時間に関する考察で絡めることができる

吉岡洋「インタラクションと時間」

氏の発表は上記の二つのことばが想定するアプローチでなくインタラクションの前提を吟味する。
が、レジュメをもう少し咀嚼する必要がある。

吉岡洋の発表やレジュメの要旨

暴力的にしかもとりあえず要旨を書くとすると以下なるだろうか。

  • 芸術作品の「インタラクティヴィティ」という問題をいうとき、例えばインタラクティヴ・アートとそうでないアート作品ついて、その方向性の違いなどを検討することは、「作品=受容」という前提を検討するものにはならず、そのことは「インタラクティヴィティ」の本質をみることにならない
  • 複製、デジタルというテクノロジーにより、「経験の徹底的な受動性、一方向性」な(もしくは、という)受容が可能になったのであり、またこれによりインタラクティヴティの問題が意識されるようになった
  • この問題の正体とは、対象と受容者の情報伝達の方向性のあり方の変容にあるのではなく、時間の質の変容にある(自然的な時間の消滅、事物の変化の「即時性」「リアルタイム性」への直面)