実録:連合赤軍 浅間山荘への道程 / 若松孝二

いや、結局「そうかつする(総括する)」という言葉の洪水ですか。


この映画をどう捉えるのか。そのスタンスは微妙かもしれない。
突っ込みどころが多すぎることを槍玉に挙げる人間が多くいるかもしれない
ことは非常に容易く予測でき、そしてそれは間違っていないはず。
前半の当時の学生運動の映像と坂井真紀らの再現映像のごとき、
「稚拙な演技やちゃちい映像」のようなものとの組み合わせで見るとき、
これ以降の3時間もあるこの映画の先行きが非常に危ぶまれた、
という人は多いはずだ。そしてそれは前半部に関しては間違っていないように
思われた。ただし、僕にとっては、それは裏切られたことになる。

リンチ事件での話しになってくる際、この稚拙さは、ある種、
彼らの稚拙さを映像として表現しているのか、という気にさえ
なってくる。

このリンチ事件の内容を形式として理解するには、パゾリーニの「ソドムの市」
やオウム、など酷似する例をあげ、それを参照してもらえれば、
想像はできると思う。
ただし、ここで写し取られた、先のこの映像が定着させている稚拙さとあわせ、
持っているものの切実さや生真面目さのようなものが、このような
組織論的な力学の中で発揮される悲劇を、息ができないような映像として
見続けるしかない状態に追い込まれる。