音箱展 / various artist

あまり時間がない中で、ささっと聴きまわったという、罪悪感がありつつ、
これはこれで、聴取の仕方の一つの形態であるということを自分に言い聞かす
こともできるはず。

マストと考えていたのは、西川文章、小田寛一郎、森本アリだろうか。
但し、彼らのものだけでなく、インプロヴィゼーションを行う人間の音箱が、
それほど印象に残ったわけではない。それはどうしてだろう。
問題は、機器の音の解像度にあるのだろうか。
確かにそれと切り離すことはできないだろう。
もしくは「流し聴き」を行った僕が悪いのだろうか。
それもそうなのだろう。
耳をすませて、ようやくノイズの中に彼らの潜ませた音が紛れて
聴こえてくる。この切り分けをどう考えてよいのか。。
要するにハイディフィニションもしくは作品の成立の制約の問題がある。
というあたりくらいで。。