村上春樹 | リーアンダー・ケイニー

村上春樹

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

村上はあまり読まないようにしているものの、アイラ・モルトについて書いているものがあり、衝動的に。
ところで、村上氏が望んでいるように、これを読んでアイラまでシングルモルトを飲みに行きたいと思えたかはさておき、「あとがきにかえて」にて、「でも経験的に言って、酒というのは、それがどんな酒であっても、その産地で飲むのがいちばんうまいような気がする」と書いている、いかにもそのとおりだと安易に消費される物語、もしくは年配者の典型的な保守主義として片付けることは避けるべきだと思う。
どうして紀行文なり食について丁寧に書かれた文章は美味しそうなのか。ということと実は根が同じなのではないかと思わされる。
たとえば、以下のようなことを思ったりする。

  • 食する飲むという行為が、これら料理や酒という制作物に付随する制作の文脈の物語を一緒に受容することで価値付けられる観念的な側面がある
  • 美味しさという価値観念を生成するには、結局のところ、この制作の文脈に制作物を配置することが最も効率的な方法の一つであり、権威付けられている(複製的に再現することは効率が悪い)
  • その記述の詳細さを受容する運動(読む過程)が、制作された文脈のへ注意・関心の解像度をあげ、制作物そのものへも反映されている
  • オリジナルの文脈をいかに記述(ことばにより再構成)するかの行為自体が、自らのそのオリジナルから断絶した環境にあるということを強く意識させる(根拠のないことはないノスタルジア

リーアンダー・ケイニー

スティーブ・ジョブズの流儀

スティーブ・ジョブズの流儀